王貞治ソフトバンクホークス初代監督の軌跡、闘病、退任からWBCで世界一へ

野球場
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選手として巨人で輝かしい記録を残した、

王貞治会長が福岡に来た経緯と常勝チームへの足がかりを作った軌跡を

前回の記事でお伝えしました。

この後、今の強いソフトバンクが築かれていくんだね!

王会長が作ってきたホークスを知ってみたいな〜。

あの史上最強打線思い出すなー

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黄金期

常勝チーム

ダイエーホークスで1999年にリーグ優勝、日本一を達成した後、

1、2、2、①、2位(レギュラーシーズン勝率1位ながらプレーオフに敗れリーグ優勝ならず)と

常に優勝争いを展開。

たぶんホークス史上最強チームがこの時期だったんじゃないかな?
2003年シーズンの
チーム打率.297は日本記録。

えっ⁉︎チーム打率がほぼ3割⁉︎

城島、松中、井口、バルデスの4人が100打点以上。

100打点以上が4人⁉︎

盗塁数はリーグトップ147個

うそっ⁉︎

斉藤和巳20勝
和田毅14勝
杉内俊哉10勝
先発3本柱で44勝!!

凄すぎるわ…。
それで監督が王さん。

まさに王監督が作り上げた史上最強ホークスだったんだよ。

ソフトバンクホークス誕生

2005年にダイエーからソフトバンクに親会社が変更。球団名がソフトバンクホークスになる。

〝世界一の球団〟を目指してスタート。

病気、退任、会長就任

ソフトバンクホークス初優勝を目指して戦っていた王監督ですが、

2006年途中に〝胃がん〟の為、残りを休養することになります。

翌年、復帰しますが成績は3位。

次のシーズン最下位に沈み退任してしまいます。

その後は会長に就任されました。

監督としての成績は
2507試合 1315勝(NPB歴代8位)1118敗74分
ホークスでは968勝でした。

世界一

第一回WBCの初代監督に就任。一次リーグ、二次リーグで韓国に敗れ,

世紀の大誤審を乗り越えてWBC初代チャンピオンに。

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まとめ

王会長が作り上げてきたホークスはいかがでしたか?

ダイエーホークスで最強チームを作り上げ、ソフトバンクホークスの礎を築かれた結果、

福岡、九州、全国のファンに愛される球団になりました。

王会長の勝負に対する執念が次の秋山監督や工藤監督に繋がり、

現藤本監督に引き継がれているんだと思います。

今年は3年ぶりに頂点に立ってくれるのでしょうか?

まだまだペナントは始まったばかりです。

秋に王会長が喜ぶ姿が見られるといいですね。

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